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<アイヌ遺骨>返還問題


”85年ぶりの”ふるさと” 「もう1度埋葬することができて本当によかった」。親族の遺骨が戻ってきたアイヌ民族の小川隆吉さん(80)のことばです。遺骨は北海道大学によって保管され、先月、ようやく小川さんのもとへ戻ってきました。実に85年ぶりの”ふるさと”です。今回、遺骨が戻ったのは小川さんたちが祖先の遺骨を自分たちのもとに取り戻そうと北海道大学に返還を求める裁判を起こし、和解が成立したためです。北海道浦河町の墓地ではアイヌの人たちが伝統的な儀式を行い、里帰りを果たした遺骨を前に慰霊の祈りを捧げました。 なぜ全国に遺骨が なぜ、各地の大学などにアイヌ民族の遺骨が保管されているのでしょうか。明治から戦後にかけて、全国の大学の研究者が人類学の研究のためとして墓を掘り起こしアイヌの遺骨を収集していました。 当時の研究者は、主にアイヌの頭がい骨の大きさなどに関心を持って研究をしていたことが、論文などから分かっています。頭がい骨の大きさなどから、民族や人種の特徴が分かると考えられていたようです。 こうした研究の背景には、民族や人種により優劣をつける「優生思想」があったと指摘する専門家もいます。しかし、研究成果を具体的に何に生かそうとしていたのかなど詳しいことは分かっていません。


北大人骨事件

北大人骨事件(ほくだいじんこつじけん)とは、1995年(平成7年)7月26日に北海道大学構内の古河講堂旧標本庫において、段ボール箱に納められた6つの頭骨が発見された事件である。 6つの頭骨の内訳は、「オタスの杜 風葬オロツコ」と付箋のある3つの頭骨と甲午農民戦争(東学党の乱)の指導者と墨書きのある朝鮮人の頭骨、日本人の頭骨、不詳な頭骨がそれぞれ1つずつであった。 オタスの杜とは太平洋戦争前に樺太の敷香町郊外にあったウィルタ(オロッコ)やニヴフ(ギリヤーク)など先住民の指定集住地である。かつてアイヌ墓の盗掘が社会問題となったこともあり(後述)、持ち出されたという事実が知られていなかったことから、これらの人骨は無断で持ち出された疑いがある。人骨はアイヌ式の供養がなされた。


背景

 1939年(昭和14年)から1956年(昭和31年)にかけ、北海道大学(北海道帝国大学)は北海道・千島・樺太の各地より研究の名目で1004体のアイヌの遺骨を収集し、時には遺族に無断でアイヌ民衆を警察により排除しての発掘が行われていたこともあった。 絶滅した動物と同列に並べられる等、非人道的であると非難が集まる中、1980年代にアイヌ人骨が発見され、ウタリ協会は人骨の返還・供養を求めた。1984年(昭和59年)に作られた納骨堂には969体が治められている(2004年現在)。遺骨へは毎年イチャルパとよばれる供養会が行われている。


その後

 1996年(平成8年)5月30日、朝鮮人の遺骨は韓国へ返還され、ウィルタ人骨は1998年(平成10年)10月27日に浦臼町の金剛寺へ仮安置された。 ウィルタ協会は北海道大学の調査報告に対して風葬の有無や証言の不採用に関して問題点を挙げ、報告書の書き替えを明文化させた。その後2004年(平成16年)8月にウィルタ人骨は樺太の慰霊碑の下に埋葬された。 



ドイツに17体 北海道協会が返還要請へ

【ベルリン中西啓介】研究目的で収集されたアイヌ民族の遺骨が、ドイツに17体保管されていることが分かった。当時の記録から、1体は19世紀にドイツ人が札幌市内の墓から盗掘し、運び込んだことも判明。北海道アイヌ協会によると、独国内で遺骨が確認されたのは初めて。協会は今後、日本政府を通じてドイツ側に調査や返還を求める方針だ。 【当時描かれた頭骨のスケッチ】  ◇頭骨1体は札幌で盗掘  毎日新聞が入手した収蔵リストなどによると、独国内で保管されているのは、国所有の頭骨10体と骨1体▽民間団体「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)が所有する頭骨6体--の計17体の遺骨。  このうち国所有4体とBGAEUの1体は日本国内で収集されたとみられる。11体は今のロシア・サハリンで収集され、1体の収集地は不明。いずれも19世紀後半以降、人類学などの研究資料として集められた。  国所有の遺骨はシャリテー・ベルリン医大が資料として収集した約8000体の骨の一部で、政府系機関ベルリン博物館連合(SMB)が管理する。戦争や東西ドイツ分裂により、長期間放置された。現在、データベース化に向けた作業が進められている。  SMBは、サハリンで収集された頭骨6体の写真を開示。頭骨の左側頭部に「Aino Sachalin Jacobsen」とあった。当時、アイヌの表記に使われた「Aino」と収集場所、収集者が記録された。  BGAEUは頭骨6体の確認を終えており、今後SMBが作成するデータベースに統合される。また、BGAEUにある頭骨1体は、札幌で盗掘されたことが1880年発行のドイツの民族学誌から判明した。  北海道アイヌ協会の佐藤幸雄事務局次長は「ドイツでの発見は、なぜアイヌが人類学のために研究され、盗掘の手法が用いられたのかを解明する手がかりになる」と話す。協会は海外に散逸した遺骨について国に調査の徹底を要請している。


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